2013 3Mar.

ブルガリア解放記念日
~解放までの戦いとその後のブルガリア~

14世紀末から約500年にわたりブルガリアはオスマン・トルコによって支配されていましたが、露土戦争が終焉を迎えると共に、ブルガリアはその支配から開放されました。その平和条約であるサンステファノ条約が調印された3月3日が、ブルガリア解放記念日と定められています。

解放に至るまでには様々な戦いがあり、その中で祖国への気持ちを高めて行きました。そして、解放後にも、それがさらに強まるできごとがおこります。今回は戦時中とその後のブルガリアについてご紹介します。

解放までの戦いについて知ることができる博物館が、ブルガリア北部のプレヴェンという街にあります。オスマン・トルコ軍の敗北を決定付ける戦いが行われた場所です。プレヴェン市は現在、首都ソフィアを除いて北部で3番目の人口を誇る大きな都市です。のどかな街並みの中にも、露土戦争に関する歴史的価値のある建物がたくさんあります。

博物館には、戦で実際に使用された鉄砲などの武器や当時を表す絵画、巨大なパノラマ画が展示されています。パノラマ画の前に立って眺めていると、戦場にいるかのような臨場感があり、解放を願って戦う当時の人々の想いが伝わってくるようです。

やっと手にしたオスマン・トルコからの解放でしたが、その後人々の心を一致団結させる、悩ましいできごとが起こりました。ベルリン条約による、ブルガリアの土地分割です。

当初のサンステファノ条約で規定された国土は、オスマン・トルコに支配される前の中世のブルガリアと近く、本来あるべき国土でしたが、その後その条約を修正するかたちで締結されたベルリン条約で、列強国(イギリス、オーストリアなど)の意志により、ブルガリアは分割され、3分の1程度になってしまいました。居住していた土地は略奪され隣国に配分されたのです。奪われた土地を取り戻すことは、人々の共通の目標となりました。その後、いくつかの戦争や条約締結を経て、現在は図のような国土となっています。

紆余曲折を経て成り立ったブルガリア共和国。3月3日はその歴史に思いを馳せてみようと思います。


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